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合唱コンクールで伴奏を担当した体験談|達成感と安堵感で泣いてしまいました

合唱コンクール

私は小学一年生の時にピアノを始めました。幼い頃は鍵盤を押すと音がでるというのが楽しくて、ガンガン鍵盤を叩いていました。

まだ私が小学生の時はピアノ=女の子が習うもの、という先入観も強くて、男の私がピアノを弾くと他の男子達にからかわれたりすることもありました。私は上達が遅い方でその上熱心に練習するタイプではなかったのですが、ピアノを弾くことが楽しくて、多少周りにからかわれたところで辞めようとは思いませんでした。

中学一年生の秋、私は合唱コンクールでピアノ伴奏をすることになりました。私の通っていた中学校は田舎の小さな学校でクラス数も少なかったのですが、合唱コンクールは全校あげてかなり本気でやっていました。そして私がその中学校で初めてピアノ伴奏を担当した男子だったらしく、私は学校で少しだけ有名になりました。普段地味で目立たなかった私でしたが合唱コンクールの季節は活躍することができ、本当にピアノをやっていて良かった、と思いました。




それまでは比較的順調だった私のピアノライフでしたが、中学三年生の時に一つの壁にぶちあたりました。合唱コンクールは課題曲、自由曲の2曲を各クラス毎に披露し、その出来映えやチームワークを競うものでした。金賞、銀賞、銅賞と順位がつけられ表彰されるのですが、例年それは3年生の3クラスが独占するのが恒例となっていました。逆に言えば、勝って当たり前、というプレッシャーが生まれたのです。おまけに、その年私のクラスが歌うことになった自由曲の伴奏は私にとってはかなり難しく、自分でもこんな曲弾けるんだろうか?という不安になるような曲でした。しかし、その中学校でピアノ=自分というくらいの今思えば根拠のないプライドのようなものもあり、私は当然のように伴奏を買ってでました。

練習を始めてみると、私は案の定、自由曲に苦しめられました。私は耳から曲を覚えるタイプで楽譜を読むのはどちらかといえば苦手な方でした。その私をあざ笑いながらオタマジャクシが上へ下へ跳ね回っているような、そんな楽譜でした。私はその時初めて、なぜ今までもっとピアノを練習して来なかったんだ、と自分を恨みました。クラス全体の練習の時にうまく伴奏できず、クラスメートに怒鳴られることもありました。それが本当に悔しくて、私は伴奏の演奏が録音されているテープを先生に借り、ひたすらそれを聞いて練習しました。

その結果私の演奏は少しマシになりましたが、次なる問題が浮上しました。私がピアノを弾くので精一杯で、微妙に歌とタイミングがずれるところがあったのです。私はかなり悩みましたが、これを救ってくれたのが指揮者を担当した友人でした。




正直に言って、それまで私は合唱コンクールでの指揮者の役割りを軽視していました。指揮者なんて誰がやっても同じじゃないか、とさえ思っていました。しかし、この友人は私のめちゃくちゃな伴奏のタイミングを読み、それに合わせて腕を振り、リズムをとって歌と合わせてくれました。今でもこの友人には感謝してもしきれないくらいです。私はこのとき初めて、指揮者という仕事の重要性を理解しました。

そして迎えた本番の日。私はなんとか止まらずに、伴奏を弾ききることができました。

演奏し終わった時、達成感と安堵感がこみ上げてきて、泣いてしまいました。

私たちのクラスは銀賞でした。一番にはなれませんでしたが、この日の為にみんなで努力して取り組んだ結果の銀賞に、クラスのみんなが納得していました。ピアノという楽器を通して、歌と、指揮者とコミュニケーションを取りながら一つの演奏を作りあげることがどれだけ大変で、またどれだけ素晴らしいことか、中学生ながら学ぶことができたと思います。

私はそれからも、ピアノを辞めずに続けています。なかなか上達はしませんが、ほどよい距離感の友達みたいな感じです。今は仕事が忙しく、なかなか時間もとれないのですが、ピアノだけは一生の趣味として続けて行こうと思っています。