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今は、弾かなくなったけれどかなり情熱を入れて取り組んだピアノ

情熱

私は、3歳の頃から「ピアノ教室」に通わせて貰いました。習い事として、「ピアノ」は人気のあった世代です。クラスの半分といえば大げさですが、20人女子生徒が居れば、8人はピアノかエレクトーンの教室に通っているというのが普通でした。

「習い事」の一つとして通わせてくれたのですが、小学校4年生辺りから、本気になりはじめました。師事していた先生のピアノに対する情熱に感化された事も大きかったと思います。将来、音大に進みたいという場合、だいたい小学校の高学年には進路を決めて取り組むという人も多かったです。練習内容、練習時間などのプログラムが分かれてくる時期がその頃です。私は、「好き」な気持ちは人一倍だけれど、自分の技量を子供心ながらも、一流の音大を目指せるようなレベルには無いと分っていたので、三流でも「専門教育」を受けられるように、趣味程度よりは踏み込んでやってみたいという気持ちがありました。小学4年生の後半頃に、ピアノの先生から「これからどのように進みたいか?」という話しを親と私と三人で話し合った時に、その旨を伝えたので、先生のほうでも、厳しめのレッスンをして下さるようになりました。趣味程度で通う生徒には、「楽しむこと」に重きを置くのでレッスンも和やかに笑いながら進めるのですが、筋のある生徒には力をつけるために、厳しいレッスン風景でした。

そして、私は地元の短大の「音楽科ピアノ専攻」に入学しました。受験というのが、一つのハードルでした。バッハの平均律、任意のソナタ、に加えて、声楽専攻でなくてもイタリア歌曲を2曲、コールユーブンゲン、と実技に加えて、楽典、音楽理論、などの筆記の勉強は専門の先生に1年間通いました。それでも、そうやって専門課程に進めるという事が嬉しくて、人生の中で「一番頑張った」という気がします。受験が近くなると、毎日、ピアノの先生の所へレッスンに通い、一日に3時間以上練習していました。

短大を終えて、全く音楽と関係の無い仕事に就きましたが、ピアノは好きで、習いに通った事もありました。けれども、防音の特別な部屋にピアノがあるという環境でも無いので、思いっきり練習するのが不可能で(夜、練習できないので)、いつの間にか弾かなくなりました。今ではホコリを被ってはいて、どうしたものか迷っています。情熱を持って取り組んだピアノではありますが、どうやら高値で「売却」する方法もあるようなので調律して一括査定に申し込んでみるのもありかなと思い始めています。